Tere!今日もこんにちは!
在宅ワークが増え、ランチはたまに家の近くのお店でテイクアウトするようになりました。
1人でも多くの方に美味しいものを食べていただきたいと、近所でがんばっているお店を見つけることがまた新たな楽しみとなっているライターのガイです。
今回は、エストニアのHistoric Centre (Old Town) of Tallinn(ヒストリックセンター(オールドタウン)オブタリン、タリン歴史地区(旧市街)以降タリン旧市街)で眺めることができる素敵な景色、テラコッタ色の屋根がまさにヨーロッパの雰囲気を感じさせてくれる塔の一つ、Epping Tower(エッピングタワー)についてお伝えいたします。
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要塞と防衛塔の歴史
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タリン旧市街は防衛システムとして中世から築かれた要塞と防衛塔に囲まれており、それらは当時の石造りを今に残す貴重な建築物です。
タリン旧市街の防衛塔は26塔あり、エッピングタワーはその一つです。
要塞と防衛塔の歴史を紐解いていきましょう。
タリン旧市街の要塞は、現在の旧市街位置から北上した辺りにおよそ1000年前に建てられ当初は木造でした。
200年後、デンマーク支配下となりヴァルデマー2世の命令により木造の要塞は取り壊され、新たに石造りのトームペア城が建てられます。
1265年、Lady of Estonia(レディーオブエストニア)として知られるデンマーク王女Margrethe Sambiria(マーガレット・サンビリア)の統治の時にタリン旧市街を城壁で囲むよう指令が下りました。城壁製造、維持の資金調達のためにマーガレット王女は様々な規制や罰金制度を設けました。
結婚式の招待客が多すぎたら罰金だったそうです!
城壁は「マーガレットの城壁」とも呼ばれるようになりました。
1280年、王女は4年分の貨幣鋳造による収入や公共住宅などの家賃収入を配分させますが残念なことに、マーガレット王女統治時代の城壁は時の流れによる荒廃を生き抜くことができませんでしたが、その後5世紀に渡りレディーオブエストニアの要塞に対する熱意は引き継がれて行きました。
1310年デンマーク王Erik Ⅵ Menved(エリック・メンヴェド)はJohaness Kanne(ヨハネス・カンネ)総督にタリンの要塞の権威を与え、カンネの指揮のもと中世タリンを守るべく要塞は目覚ましい発展をしていきました。
1355年に7つの正門と1つの城壁内の門、角に4つの塔と加えて2つの塔を増築しました。
壁の高さはおよそ6.3メートル、幅は下部が1.3メートル、上部が1メートルの厚さとなっており、階段は4.3メートルの高さで上部の防衛デッキを支えていました。
壁には銃眼となる穴は開いていないため、上部の木造防衛デッキにてすべての防衛行為が行われていました。
タリン旧市街の南側と東側には更なる防衛のために1.5キロメートルの長さのお堀が造られました。
お堀の水はハルヤペア川から4キロメートルに渡って引かれ海へと流れ込むようになっており、水車の原動力にもなっていました。
タリン旧市街の要塞はその後14世紀から15世紀始めにかけてさらに9つの塔が建築され、10以上の塔が修復されました。
そのころにはカノン砲という砲身長の長い大砲が戦争の攻撃手段となっていました。
敵の視察や更なる長距離攻撃が必要になり、新しい塔は24メートルの高さに建築され、城壁の高さは約13〜16メートル、壁の厚さは3メートルにまで及び、いくつかの塔のてっぺんは屋根がなく開放されており、様々な種類の石弓が使用されました。
また攻撃に使われたカノン砲についてですが、1396年以降からはタリンで製造されるほどにまでなりました。
塔の造りは、1階が弾薬、食品や飲み物などのその他必需品の倉庫となっており、牢獄として使用されていたこともあるようです。
また、2階は壁に穴が開けられるようになり、包囲攻撃の見張りや攻撃に使用されていました。
エッピングタワーについて
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要塞の歴史をみたところで、いよいよエッピングタワーについてです。
エッピング塔はタリン旧市街の下町北西部、Laboratooriumi(ラボラトーリウミ)通りにあります。
塔は先ほど見てきた歴史の流れの中で1370年代に建築されました。
名前の由来は、塔の建設責任者であった市会議員Thiderico Eppingh(ティデリコ・エッピング)氏から来ています。
塔の特徴は、壁の内側ラボラトーリウミ通り側から見ると塔は平らに、壁の外側Suurtüki(スールトゥキ)通り側から見ると円形に見えます。
1530年に6階建て構造高さ20メートル以上に到達しました。
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当時の構造は18世紀まで維持されましたが、19世紀に内部の造りは取り壊されました。
ソ連時代には、KGB(カーゲーベー/秘密警察)や内務省のボイラー室があったと言われています。
またソ連時代に内部には鉄筋コンクリートの中間天井が設置されました。
2005年に改装され現在は6階全体に渡って当時の歴史や、武器、服装のレプリカの展示があり、それらを体験することができます。
タリンで最初に造られたコインも記念に造ることが出来、最上階には本物の実物大の武器である石弓があります。
ガイド付きツアーも受け付けており、申し込むと中世の格好をしたガイドさんが説明してくれます。企業イベントとしてのガイドツアーやケータリング利用も可能となっており、そのほかにも様々なイベントやプレゼンテーションの場として提供されています。
全ての情報はエストニア語・英語の対応となっています。
エッピング塔の開放日時、入場料は以下の通りです。
9/16-5/1 11:00-6:00(土・日のみ)5/2-9/15 10:00-18:00(水曜日定休日)予約可能 大人 6ユーロ学生 4ユーロ7歳以下入場料無料※Tallinn Card(タリンカード)がある場合も無料で入場できます。
現在ホームページではコロナにより室内公開休業となる予定であることが書かれていましたので具体的にいつかの記載がないですが、訪れる際は事前にご確認をお忘れなく!
※タリンカード
観光に便利な割引カードで、公共交通機関を無料で利用でき、ほとんどの博物館も入場料無料、場所によりカフェやレストランの料金が割引となります。
タリン カードは、タリン旧市街のVabaduse valjak(自由広場)より、Raekoja plats(ラエコヤ広場)に5分ほど歩くと左手にTallinn Tourist Information Centre(タリン観光案内所)があり、そちらで購入することが出来ます。
日本語のマップも置かれています。
旅行の最初に際に寄られると観光情報も得られますし、効率良くたっぷりタリンを楽しみたい場合にはお勧めのカードです。
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石職人について
ここまでエッピング塔についてお伝えしましたが、次にお伝えするのはこれらの要塞や塔にかかせない材料である石を扱うタリンの石職人についてご紹介いたします。
タリンはギルドの街であり、大ギルトは外国人である商人のことを、小ギルドはエストニア人職人のことを示しました。
石職人のギルドについて初めて言及されたのは1370年で初期の手工業協会の一つとされています。
様々な職人はタリンの発展の重要な役割を担っていました。
職人ギルドには厳しい掟があり弟子入りするには法的地位を証明しなければならず、農奴は受け入れられませんでした。
徒弟は厳格な修行を積まなくてはならず、一人前の職人として認められるためには長い時間と高額な費用を投資する必要があるにも関わらず、確実に職人になれる保証はありませんでした。
ある歴史文書ではタリンの90パーセントの石職人はエストニア人だったという記録があります。
にもかかわらず、当時の石職人の地位は低いものでした。
城壁や塔に使用される石は石灰岩で、タリンから東に3キロメートルの所にあるLasnamäe(ラスナマエ)の採石所で取れる物でした。
石職人は要塞や塔を造るにあたり、床、壁、階段や片持ち梁など全ての要素においてどの石灰岩を使用すればいいのか心得ていました。
また、石職人は要塞の建築のみならず、要塞の保護として軍の部隊を形成し、どの塔や城壁の一角に配置するかを決める役割も担っていました。
それらの部隊は攻撃を受けながら要塞を守り抜くか戦死することが任務でした。
15世紀のタリンでは定期的に30人まで、石職人が採用されていました。
まさに、今私たちが見ることのできる素晴らしい城壁と塔の姿は、素晴らしい技術を持ったタリンのエストニア人石職人たちの生きた証なのですね!
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いかがだったでしょうか?
長い年月をかけてなお当時のままの姿を見せてくれるタリン旧市街。
その建物一つ一つに歴史があり、知れば知るほど人々の営みに感動させられます。
ぜひ、エッピングタワーに訪れた際にはその石に触れてその鼓動を感じてみてください。
中世の鎧をかぶって写真撮影をお忘れなく!
本日はライターのガイがお届けいたしました。
最後までお読みくださり、ありがとうございました!次回もお楽しみに!